■“拡張パック”ってなぁに?

また、このゲームの達成目的や進行方式を継承した『ウィザードリィ』などのコンピュータRPGが1980年初頭に誕生した。 1970年代後半になると、SF、歴史、近現代を舞台にするものが登場してくる。また、特定の小説や映画などの世界を再現するものも登場する。 1977年には、科学技術が発達して自在に宇宙旅行できるようになった未来世界を舞台に、さまざまな文明をもった惑星を旅する『トラベラー』や1979年発売の、所属する組織によって行動規範が定められる『ルーンクエスト』などの、「ある役割を課せられた仮想の人物を操演して、司会・審判役を交えて会話で進行するゲーム」でありながら、背景世界のみならず達成目的や進行方式が『D&D』とはまったく異なるゲームの登場によって、テーブルトークRPGの多様性が示された。 『ルーンクエスト』はファンタジー世界ながら、文化人類学を背景にした緻密なカルト(祭祀集団)を設定し、詳細な設定をもった背景世界(グローランサ)と物語を提示したことに特徴があった。『D&D』ははじめ、ほとんど背景世界というものをもたなかったが、こうした他作品に導入された達成目的の多様性や緻密な背景世界などを取り込んでいく。この詳細な背景世界の登場により、後のゲームではシステムと世界背景・物語という二分化された制作がなされて行く。 英語圏だけの現象であったテーブルトーク自動車保険 は、やがて他の言語圏にも紹介され、初めは英語のゲームをそのまま遊ぶという形で伝播していくが、やがて、各言語独自のゲームが作られるようになる。テーブルトークRPGが多く発表されている国として、フランス、イタリア、ドイツ、日本などがある。 日本では、ボードゲームのシミュレーションゲームやRPGがアメリカなどに比べるとそれほど債務整理 せず、それに対して、元々は派生的な存在であるコンピュータRPGが急速な普及を見せた。このような状況を背景に、日本では80年代半ば以降、「RPG」はコンピュータRPGを指す言葉として普及した。本来の意味での「RPG」を愛好する人々は少数派であり、彼らの「RPG」を指し示す新しい用語が必要になってしまったのである。そこで登場したのがこの「テーブルトークRPG」という言葉であった。 「テーブルトークRPG」は、1987年にゲームブック雑誌『ウォーロック』10号(社会思想社:日本語版監修は安田均)の記事において、近藤功司が「テーブル・トークのRPG」という言葉を自身の造語として紹介したのが初出と思われる。ただし、誰の造語かという点については、「もともと京都大学出身のゲームプレーヤー達が使っていた表現である」説や「グループSNEが使いはじめた表現である」説など、異説がある。また 略称であるTRPGについては彼らではなく一般のプレイヤー間で自然と発生した。 いずれにせよ、「テーブルトークRPG」という用語は『ウォーロック』誌上でたびたび近藤功司によって使用され、そのうちに安田均も積極的に使うようになった。安田均は多くのTRPG関連雑誌で執筆していたため、この語はゲーマーたちの間で広く知られるようになった。しかもこの時期は日本で一気にTRPG人口が増加していた時であったので、初めから「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶ人々が大きな割合を占めるに至った。遅くとも2000年頃には、TRPGファンの間でも単に「RPG」ではなく「テーブルトークRPG」と呼ぶのが当然のこととなったのである。 「テーブルトークRPG」という呼び名が定着する以前においては、ボード盤RPGや卓上RPGなど様々な呼び名で書籍に紹介されていた。下記にもある様にコンピュータRPGと区分する為に一時的に用いられた用語であるが、これはゲームブックとの区分をも意味していた。 また、D&D第3版を販売・展開するにあたって、ホビージャパンは「テーブルトークRPG」という呼び名をあえて避け、「会話型RPG」という独自の用語を打ち出している(ただし、同社が過去に発行していたRPGマガジンでは「テーブルトークRPG」の呼称は普通に使われていた)。 日本におけるテーブルトーク不動産投資 の始まりは、70年代に求められる。 原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、TRPGが販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。もともとは、アメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、当初は全て英語で書かれていた。それを読まなくては、ゲームを始めることすらできなかったのだ。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案をさらには自作までするようになる。 また、1980年代になると『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌で「ウィザードリィやウルティマの元となったゲーム」として、ダンジョンズ&ドラゴンズ等の紹介が始まり、テーブルトークRPGの知名度は高くなっていく。(なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が、盛んに用いられていた) 一方、『TACTICS』『シミュレイター』などのボードシミュレーションゲーム雑誌で、海外RPGならびにその周辺の状況が紹介されるようになり、RPGプレイ人口が増えていった。当時広く遊ばれていた海外製品は多くあり、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』『アドバンスドダンジョンズ&ドラゴンズ』『トラベラー』『クトゥルフの呼び声』等の著名な海外作品のいくつかは邦訳版が出版されていき、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。 一方、国産のテーブルトークRPGも1980年代からいくらか作られるようになっていった。社会保険労務士試験 とされるのは1983年で、この年にエドワード・リプセットにより『スタークェスト』が ツクダホビーから発売されている。(リプセットは外国人であったが、『スタークェスト』はあくまで日本オリジナルの国産製品である)。また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー「クラッシャージョウ」、バンダイ「元禄忍者伝」など)。1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。 1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、D&Dのシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。これは後にリプレイを原案とした小説として発表される。この小説版『ロードス島戦記』は大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に、一役買うことになる。なお、テーブルトークRPGとしての『ロードス島戦記』は、独自のシステムで新開発、展開されることになった。 1989年に『ソード・ワールドRPG』が富士見書房から発売されると、特に中高生を中心とした低年齢層に広く普及した。 『ソード・ワールドRPG』が大きく普及した理由は、 書店で入手しやすい文庫本 の形だったこと(それまでのシステムやサプリメントなどのテーブルトークRPG関連商品の多くは、ボードゲームメーカーによる ボックス型 のものが多く、価格も3500〜5000円と高めの商品が主流だった) 『ロードス島戦記』と同じ世界で、違う大陸を扱っていた(出版社、システムは異なる)